言葉って同じ用途で使っても相手から受けとる印象は大きく違ってきますね。

例えば上司や先輩に手を貸してもらった場合の返答に「ありがとうございます」と「すいません」の使い分けでは、ありがとうございますの方が明るく感じますね。

同じ言葉を使う場合で「はい」の返事1つでも「はい!」と元気良く返事をするのか「は~い」や「はいはい」だと言葉を受けとる側は全く違ったものになりますね。

空元気の「はい!」だけでは「返事だけはいいんだけど………」と、なってしまいますが

また、自分がピンチの時に自分に投げ掛ける言葉でも「もうダメだ」よりも「まだやれる」の方が立ち上がる勇気が出るような気がしますね

最近は返事や挨拶も上手くできない子達が増えています。

俺が思う挨拶や返事は人としての基本。

相手がしないからではなく自分からいこう。

返事や挨拶や言葉に心を込めて、意味を込めて。

1日の始まりが笑顔で始まり笑顔で終われるように

1日言葉を発しないと、まるで、真っ暗な部屋でTVも電気もつけず1日を過ごすような、なんだか暗~い1日になっちゃいますね

挨拶で気持ち良い1日のスタートで始まり気持ちよく1日を終わろう!

挨拶や返事は人と人をつなぐ架け橋です。

そして言葉は笑顔を生み心にぬくもりを作る魔法です

自分にも周りにも。

俺は良く、前に進む為に、そこに立ち止まらない為に大きな1歩を踏み出す勇気を持とうと言う。

だけど何の目的も進むべき道の考えもなく前に踏み出す1歩は逆に無謀である。

でも今、心が暗いとこにいて、ただがむしゃらに今この場所から抜け出したいって時ってあるよね。

ある一定の年齢になり仕事・恋愛・夢etc……今ここで止まってていいのかな?って考えた事ない?

色々考えると勇気と無謀の境目は難しいもの

それどころか、あ~したいこうしたいと思うだけで現実の壁にぶつかり境目が小さくなってないかな?

例えばその境目を、何かの可能性を秘めた未来地図に、例えてみよう。

想像するだけど境目は一気に拡がらないかなぁ?

無謀ではなく勇気ではなく踏み出す1歩が未知の冒険だとしたら、閉ざされた視野がすっごい拡がらない?

勇気なんていらない、無謀だなんて考えなくていい。

覚悟を決めるとか、もうどうにでもなれ!とか固く考えるんではなく、その先に何があるか何が起こるか分からないドキドキワクワクする冒険なら1歩踏み出してみてもいんじゃない

今日も未来地図の冒険に1歩ふみだ~す

知っていましたか?

未来が変わる事で過去も変えられる事を。

消したい過去

忘れたい過去

失敗した過去

悲しい思い出

etc…………

もちろん、そんな過去をお持ちの前提の話ですが………

そんな風に振り返ればきりがないぐらいあるかもしれません。

とは言っても過去に起こった事実は変えられない。

だけど、これから先の未来が眩しいくらいに輝いていたり、幸せという暖かなぬくもりに包まれる事によって、それまでの過去がその為の経験や積み重ねだったとしたら先の自分からみての過去は大きく意味を持つ。

今の目で見る過去と、先に輝く未来から見る自分の過去の見方は随分変わって見えると思いませんか?

とんでもない話を言うのなら、今の自分が先の幸せの未来から来た自分なら今何をすべきですか?

そんな風に考えるなら、もう1度チャンスをくれたのかもしれませんね

過去の事実は変わらなくても過去の意味は未来の自分に向けて今も未来も過去も変えられる。

だからこそ

今を大切に

見せかけの笑顔じゃなく心からの笑顔で笑えるように

俺もまた今日から輝く未来に向かっての一歩を強く踏み出そう

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